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名 称 |
中島の奥越集中豪雨跡 | ||
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学 名 |
− | ||
分 類 1 |
地形地質 | ||
分 類 2 |
− | ||
位 置 (2kmメッシュ番号) |
大野市:中島(239) | ||
選定理由 |
その他地質学的に貴重な地点 | ||
区 分 |
B(県レベルで重要なもの) | ||
解 説 |
中島は,過去には,地質学徒育成の地であった.かつてここに西谷村最大の集落が存在し,役場や小・中学校があり,山村特有の生活が見られた.昭和40 年9 月14 日昼頃から降り始めた台風24 号に伴う雨は,夜に入ると勢いを増して,15 日の昼前まで続いた.この地域の1 時間の雨量は70 〜90 oという驚異的なもので,これが数時間も続き,1日雨量844 o,総雨量1,044 oに達した.このため,河川は氾濫,山崩れが起こり,至るところに土石流が発生し,全てのものは濁流に洗われ壊滅したのである.この災害は,西谷村の歴史が閉じるきっかけとなった.この集中豪雨は奥越集中豪雨と呼ばれており,死者9 名,行方不明2 人,家屋の全半壊1,272 戸という甚大な被害が発生した.大野郡西谷村では各地で土石流が発生し,村の中心地である中島を始めとして村全体が壊滅的な打撃を被った.中島には17.5 万 の土砂が流れ込み,全戸数106 戸のうち42 戸が流出,58 戸が倒壊,役場や小学校も土砂に埋もれた.その後,下流側の真名峡に防災のため真名川ダムが建設されることになり,村全戸が離村を余儀なくされ,1970 年には西谷村は大野市に編入となった.現在,中島は中島公園として整備され,当時の面影はほとんど無いが,土石流の痕跡が谷沿いに厚い土砂堆積物として残存している.このように,集中豪雨により,全てが壊滅し,大きく地形も変化した.30 年を経過した今では何事もなかったように,人々のオアシスの場となっている.この中島公園の位置にあった西谷村役場も,この奥越集中豪雨によって,流出し,それにより西谷村は幕を閉じた.西谷村中島地区周辺は,手取層群から産する化石をはじめとして,地層堆積当時の環境を示す様々な地質学的資料が多く見つかっている.また,中島地区は笹生川と雲川の合流点で,笹生川を上流(45 )に進むと,手取層群から本戸層の古期岩相の良好な露頭が連続している.一方,雲川を上流(45 )に進めば,本戸層から新第三紀の火山岩や能郷白山の花崗閃緑岩の分布地を経て,大断層地形をなす温見峠へ到達する. | ||
保護の現状 と留意点 |
現在の中島公園に立って,かつてここに学校や役場を始めとして集落が存在していたことを思うと,自然の恐ろしさを痛感せざるを得ない.災害に対する心得は,平素から自然の荒々しさを認識しておくことが大切である.現在被害跡は中島公園として整備されている.
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(C) 福井県自然保護課 出典「福井県のすぐれた自然(動物編、植物編、地形地質編)」(1999年 福井県自然環境保全調査研究会監修 福井県発行) |