1997年1月、厳寒の日本海で起こった重油流出事故直後、おびただしい重油が押し寄せた沿岸の状況は絶望的とも言える状況でした。
しかし、国、県はもとより地元の方々やボランティアのその後の献身的な活動により、今では、海はもとの美しい姿を取り戻しました。
振り返ってみると、その時、「鳥の命を救う」というたった一つの目的のために実に多くの人々が自発的に、そして懸命に活動をしていました。
波高い海岸線で水鳥を保護する人、 鳥の体温が下がらないよう保温し搬送する人、 鋭い嘴を押さえる人、羽根を傷付けないよう慎重に洗浄する人、 衰弱した鳥に注射器で強制給餌をする人、 きれいになつた羽根を乾燥させるための箱を作る人、 元気になった鳥をにわかづくりのプールに浮かべ餌のワカサギを与える人、 鳥の体重測定をする人、薬品や栄養剤を注射する人、 汚れたタオルを洗濯する人、 元気になった鳥を北海道に空輸する人、 苫小牧市勇払海岸で鳥を海に帰す人、 帰れなかった鳥を回収し、更に鳥のリハビリを続ける人、 海岸線で重油が付着した鳥の数を調査する人、 資材の調達に走り回る人、 そして、 鳥たちのために役立てて欲しいと義援金や義援物資を送って下さった人
「鳥の命を救いたい」という多くの熱い思いが結集し、大きな力となった出来事でした。
このページでは、野鳥保護の歴史に刻まれるであろうその活動の一端を紹介いたします。