これまで、野生動物は人間による捕獲と捕殺、生活範囲の拡大による生息地の消滅、農薬汚染などの危険にさらされてきた。しかし一方で、野生動植物の必要性は、人間社会の豊かで文化的な生活に欠かすことのできない存在として次第に認識されつつある。つまり、種の絶滅は生態系のバランスをかき乱すおそれがあるばかりでなく、将来、我々が受けることのできる様々な恩恵の可能性を切り崩してしまうことになるからである。特に、イヌワシをはじめとする希少猛禽類は、多様性ある生態系の頂点に位置し、生物指標としても重要である。現在、イヌワシ(Aquil achryaetos)は絶滅の危機に瀕していると言われ、具体的な保護対策が急がれている鳥類である。
本調査は、イヌワシの生息状況、繁殖状況、生態等の概要を把握し、その保護対策に資することを目的に実施された。広大な山域に飛ぶ1羽の鳥を追跡し、雪の降り積もった崖をよじ登って巣を観察することは、特殊な技能と忍耐力、更に危険を伴う作業など、各調査員の資質に負うところが大きい。
この報告書が、今後における希少猛食類の保護管理における基礎資料として、活用されることを願ってやまない。
平成7年10月
福井県自然保護センター所長 広瀬紀佐雄
イヌワシ Aquila chryaetosは,ヨーロッパ中部,中央アジア,中国東北,東南アジア,サウジアラビアおよび極北部をのぞくユーラシア大陸の大部分,アフリカ北部 アラスカ,カナダ,アメリカ,メキシコなどで繁殖し,6亜種がある(黒田ほか1984).日本には,亜種ニホンイヌワシA.c.japonica(以下イヌワシ)が北海道,本州,四国,九州に生息するが,繁植が確認されているのは岩手・長野・石川・滋賀・鳥取などの13県にすぎない(石川県白山自然保護センター1983,中村・中村1995・写真1・2).イヌワシは,1965年に文化庁が国の天然記念物に指定,1989年に「日本の絶滅のおそれのある野生生物−レッドデータブック−(脊椎動物編)」(環境庁編1991)で絶滅危惧種としてリストアップ,1993年に環境庁が「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」で「国内希少野生動植物種」に指定した日本国内の推定個体数が300羽である極めて貴重な猛食類である(日本イヌワシ研究会・日本自然保護協会1994).
福井県のイヌワシの営巣地は,奥越地方で明治時代の終わりにすでに発見されていたが,現在明確な記録として残っているのは,同所で1978年2月26日に抱卵中の個体を確認したのが最初である(久保藤士継 私信).本格的な調査は,1977年に久保上宗次郎が嶺南地方で,山田律堆が嶺北地方で開始したのが最初である.その後,隣県の日本イヌワシ研究会の会員の協力により,特定のテリトリー(行動圏)※においては調査が進められたが,小規模調査では県内全域の生息状況をつかむことは難しかった.
一方,イヌワシを中心とした希少猛食類の保護・管理のためには,基礎資料となる県内の分布や個体数,繁殖状況,行動圏などを把握する必要性が生じてきた.そこで,福井県では平成2〜6年度にかけて,希少猛食類(イヌワシ)の保護・管理に関する調査事業を実施した.
※一般的に行動圏は定住性の強い動物の行動範囲,テリトリーは採餌や繁殖などのために同種を 排他する地域として定義されているが,イヌワシの行動圏は,同種間で重複することなく,行動圏の境界においては排他行動がとられることが多いことから,ここではテリトリーと行動圏を同義として扱った.
本県におけるイヌワシの生息状況に関する現地調査の実施に先立ち,既存の文献・資料や剥製標本などの収集整理,ならびにアンケート・聞き取りなどの情報収集調査を,1990年9月より12月にかけて実施した.この情報収集調査は,県内のイヌワシに関する既存資料を整理する目的とともに,現地調査における調査地域の選定や調査地域ごとの目的・方法の検討を行うことにより,現地調査の効率を上げることを目的とした予備調査として行った.
本県ならびに隣接県における図書館・博物館・大学・研究機関などにおいて,福井県内のイヌワシに関するあらゆる文献資料を収集して整理した.
本県ならびに隣接県における博物館などにおいて,イヌワシの剥製などの標本に関する情報を 収集して整理した.
日本野鳥の会福井県支弘福井県猟友会,福井県山岳連盟などの登山グループの会員等を対象に,福井県内におけるイヌワシの目撃記録などについてのアンケート調査を行った(様式第3号).
アンケートの回収結果により,さらに詳細な聞き取りが必要と判断されたものについては,直接聞き取り調査を実施した.
福井県内におけるイヌワシに関する既存文献が,11編収集された(表1,様式第1号). そのはとんどは断片的な観察記録であり,体系的な調査に基づくものはほとんどなかった.
福井県内に存在が確認されたイヌワシの剥製は,福井市自然史博物館に所蔵される1体のみであった(表2,様式第2号).しかし,この剥製については,県内由来のものであるかどうか不明であった.
整理 番号 |
標本個体の保護 ・捕獲地等 |
標本の保護・ 捕獲等経過 |
標本計測等 翼長 令 保存状況 |
保管者名 団体名 |
調査者氏名 |
2001 | 丹生郡越前町 小樽 |
落鳥拾得による ものであるが、 詳細は不明 |
不明 成鳥 不明 | 福井市立 郷土自然科学 博物館 |
久保上宗次郎 |
※福井市自然史博物館
調査対象団体等の会員に,福井県希少猛禽類調査委員会の調査委員の知人等を加えて,総数2,000通のアンケートを発送した.回収された693通のうち,県内のイヌワシの生息状況についての記載のあるものは118通であった.次項の情報整理表には,これらのうち記載内容に信憑性があると判断された91通のみを掲載した.
文献調査剥製標本等調査およびアンケート調査による県内のイヌワシの生息情報を.様式第4号により情報整理表と,様式第5号により2万5千分の1地形図を用いた分布図に整理した.
分布情報は,4kmメッシュにまとめた.福井県全域の4kmメッシュの総数は329で,その内 の81メッシュ(24.6%)でイヌワシの分布情報が得られた(図1).現地調査を行う範囲は,この分布を参考に選定した.
調査地域は,情報収集調査の結果,イヌワシが山地帯に生息すること,テリトリーの標高中央値の全国平均が857mであることなどから生息想定地区を推定し設定した(日本イヌワシ研究会1987).まず,イヌワシの生息想定地区においてはその生息の有無を確認し,生息確認地区においては,営巣地の特定,繁殖状況,テリトリーなどを調査した.
調査は,福井県および隣県に在住する日本イヌワシ研究会や日本海ワシタカ研究会の会員により,福井県希少猛禽類調査委員会を組織し実施した.
調査は,1990年11月から1995年の1月にかけて,延ベ602定点に延ベ797人の調査員を配置し,延ベ173日,延ベ207,234分実施した.
調査定点は,見晴らしのよい観察地点に設定し,出現したイヌワシの位置・個体数・年齢・性別・個体識別などを地図に記録した.各定点ごとに無線機を携帯し,連携観察を心がけた.
また,調査地(イヌワシの生息想定地区)におけるイヌワシ以外の他の希少猛禽類の生息状況を併せて記録した.ここで挙げた希少猛禽類とは,昼行性の猛禽類であるワシタカ類の中で,「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」によって指定されている「国内希少野生動植物種」,「日本の絶滅のおそれのある野生生物−レッドデータブック−(脊椎動物編)」(環境庁編1991)に挙げられている絶滅危惧種,危急種,希少種,「文化財保護法」によって指定されている天然記念物,および県内で生息数が少ないと思われる種とした.なお,調査期間中に生息情報が寄せられたものの中から,イヌワシと確認でさた記録を調査結果に加えた.
イヌワシの生息が確認されたテリトリーは,その生息状況に応じて以下の通りのランクに分けた.
イヌワシが確認されたテリトリーは,4桁のコード番号で表示した.コード番号は,自然保護センターが県内のワシタカ類の確認記録をデータベース化するために作成したワシタカ類生息状況システムに基づいている.コード番号の前2桁は,国内に生息する主なワシタカ類ごとに特定の番号をつけたもので,後2桁はテリトリーごとに連番をつけたものである.
調査メッシュは,「標準地域メッシュ・システム」(1978.行政管理庁告示第143号「統計に用いる標準地域メッシュおよび標準地域メッシュコード」)による第3次地域区画(「基準地域メッシュ」または「3次メッシュ」ともいう.約1km×lkm)を基にして作成した2kmと4kmメッシュを利用した.福井県全域の2kmメッシュの数は1,179,4kmメッシュの数は329であった.繁殖成功率は,生息ランクA・Bで繁殖成功が確認された延ベテリトリー数/生息ランクA・Bで繁殖状況が確認された延ベテリトリー数により算出した.
営巣地の特定については,今回の調査で発見または確認されたもの以外に,調査員以外の聞き取り情報を加えた.また調査員の記録については,現在過去を問わず,発見記録または重要な確認記録を加えた.
営巣地は全部で14ケ所確認された(表3・写真3).2ケ所は聞き取り情報のみの確認で,現地においては距離が遠かったり植生や崖の形状の変化などの理由で,巣は確認できなかった.今回の現地調査において確認された営巣地は,12ケ所であった.その内の3ケ所は,今回の現地調査で初めて発見された.それ以外は,過去に発見され今回の現地調査で再びその存在を確認した営巣地が6ケ所,調査期間中に,今回の現地調査とは別の調査中に発見された営巣地が3ケ所であった.
福井県内のイヌワシの営巣地の最も過去の確認情報は,明治時代の終わり頃の発見情報であった.この営巣地は,明治18年生まれの故久保梅吉氏が発見していたことを久保藤士継氏が子供の頃に聞いていたという.久保氏はその後・父親の故藤太郎氏から正確な位置を教わり,1954〜1955年頃に確認した.この時は,成鳥の出現がなく・巣の使用状況は不明であった.この営巣地は,過去10年以内にも使用が確認されており,イヌワシの営巣地が少なくとも100年単位で利用されている例が今回確認されるなど福井県内のイヌワシの歴史を語る上で重要な営巣地である(表3,久保私信).
テリトリーコード | 巣番号 | 発見年月日 | 標高(m) | 傾斜区分 | 架巣場所 | 崖の方位 |
1701 | N1 | 1990.3.19 | 1,000 | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 東 | 1701 | N2 | 1994.6.18 | 1,260 | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 南 | 1702 | N1 | 1987.1.15 | 590 | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 南東 | 1702 | N2 | 1991.3.10 | 800 | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 南西 | 1703 | N1 | 1965〜1970頃 | 860 | 20〜30゜未満 | 岩棚 | 西 | 1703 | ※N2 | 1955〜1958頃 | 1,020(推定) | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 西南西 | 1704 | N1 | 1982.5.20 | 860 | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 東南東 | 1704 | N2? | 1994.1.16 | 820 | 30〜40゜未満 | 不明 | 南西 | 1705 | N1? | 1993.3.31 | 730 | 20〜30゜未満 | スギ | 南西 | 1706 | N1 | 1991.10.25 | 680 | 20〜30゜未満 | 岩棚 | 南 | 1706 | N2 | 1992.9.17 | 600 | 20〜30゜未満 | 岩棚 | 西 | 1708 | N1 | 1989.4.29 | 840 | 30〜40゜未満 | 岩棚 | 西 | 1709 | N1 | 1954〜1955頃 | 1,200 | 20〜30゜未満 | 岩棚 | 南南東 | 1710 | ※N1? | 1955〜1960頃 | 1,260(推定) | 20〜30゜未満 | 岩棚 | 北西 |
営巣地の地形は,ほとんどが急傾斜地の岩棚で,樹木営巣例が1例あった(写真4,写真5).標高は800m以上が10ケ所あり,崖の方位は,東〜南〜西の範囲に多く,北向きは北西が1例のみと少なかった.
北陸地方のイヌワシの巣のほとんどは,オーバーハングした崖に造られている.これは,造巣期及び抱卵期に多雪期を迎える北陸地方にとって,多雪による繁殖行動の失敗を少なくしていると考えられる(池田・山本1989).よって,今回,県内唯一の樹木営巣が確認されたが,このことは,テリトリー内に営巣に適当な崖が存在しないことで仕方なく樹木営巣をしていることが予想される.今後このテリトリーにおいて,繁殖を成功させるには,多雪に耐えられる営巣地の確保が必要であると思われる.
今回の現地調査によってイヌワシが確認されたメッシュ数は,2kmメッシュで144ケ所,4kmメッシュで62ケ所で,県内の総メッシュに占める割合は,2kmメッシュで9.7%,4kmメッシュで18.8%であった(図2).これを,現地調査で得られたイヌワシの営巣地の位置や飛翔コース,文献のテリトリーの面積から,福井県内のイヌワシのテリトリー数を推定すると,13ケ所となった.
生息ランク別のテリトリー数は,Aランク:2ケ所(1701,1702),Bランク:4ケ所(1703,1704,1705,1706),Cランク:1ケ所(1707),Dランク:3ケ所(1708,1709,1710),Eランク:3ケ所(1721,1722,1723)であった.
北陸地方の各県のイヌワシの生息個体数は,石川県40〜50羽(石川県白山自然保護センター1985),富山県45〜65羽(池田ほか1990),新潟県43地域である(波辺・柳瀬1993).一方,福井県の生息個体数は,確実に定着テリトリーが確認されたA・Bランクが6ペアで12羽,定着状況が正確につかめなかったテリトリーのC・Dランクが4ペアで8羽と算出される.よって,福井県のイヌワシの生息個体数は,12〜20羽と推定される.北陸3県の山地帯の面積は大きな差がないにもかかわらず,福井県の生息個体数が少ないことから,北陸3県では,福井県が最もイヌワシの生息密度が低いと推定される.これは,福井県の山地帯の標高が低いことや傾斜が緩やかであることなどが主な理由であると考えられ,今後の研究課題である.
1991〜1994年の4年間に幼鳥の飛翔を確認したテリトリーは,3ケ所で,その内の1ケ所は営巣地が県外にあると予想され,県内で営巣地が確認されたテリトリーでは,幼鳥が2テリトリーで合計6羽しか確認できなかった.また1テリトリーでは,巣内雛が50〜60日齢で死亡,または巣立ち寸前まで確認したが以後不明になった,3テリトリーは,いずれも造巣期〜抱卵期段階で失敗した.2テリトリーは,巣が未使用で生息状況もはっきりしなかった(表4).
テリトリ- コード |
巣番 |
使用 状況 |
1991 繁殖成否 (巣立雛数) |
備考 |
巣番 | 使用 状況 |
1992 繁殖成否 (巣立雛数) |
備考 |
巣番 | 使用 状況 |
1993 繁殖成否 (巣立雛数 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1701 |
N1 (N2) |
? ? |
○(1) |
ペア+幼鳥 | N1 (N2) |
− ? |
×(0) |
ペア |
N1 (N2) |
○ − |
○(1) |
ペア+幼鳥 |
1702 |
N1 N2 |
− ○ |
○(1) |
ペア+幼鳥 |
N1 N2 |
− ? |
×(0) |
ペア |
N1 N2 |
− ○? |
○(1) |
成鳥1+幼鳥 |
1703 |
N1 N2 |
? ? |
? |
未調査 |
N1 N2 |
○ − |
×(0) |
巣立寸前不明 ペア |
N1 N2 |
− − |
×(0) |
ペア |
1704 |
N1 (N2) |
? ? |
×(0) |
ペア※ |
N1 (N2) |
− ? |
(0) |
ペア※ |
N1 (N2) |
− ? |
×(0) |
成鳥1 |
1705 |
(N1) |
? |
×(0) |
ペア |
(N1) |
? |
×(0) |
ペア |
(N1) |
○ |
×(0) |
抱卵?ペア |
1706 |
N1 (N2) |
○ ? |
×(0) |
巣材搬送 ペア |
N1 (N2) |
○ − |
×(0) |
巣材搬送 ペア |
N1 (N2) |
− ○ |
×(0) |
ペア 巣材搬送 |
1708 | N1 | − | ? | 調査 | N1 | ? | ? | 未調査 | N1 | − | ×(0) | 成鳥1 |
1709 | N1 | ? | ×(0) | 成鳥1 | N1 | − | ×(0) | N1 | − | ×(0) | 成鳥1 | |
1710 | (N1) | ? | ? | ペア | (N1) | ? | ? | (N1) | ? | ? | ペア | |
1721 |
? | ? | ? | 未調査 | ? | ? | ○(1) | ペア+幼鳥 | ? | ? | ? |
テリトリ- コード |
巣番 |
使用 状況 |
1994 繁殖成否 (巣立雛数) |
備考 |
---|---|---|---|---|
1701 | N1 (N2) |
− ○ |
○(1) |
ペア+幼鳥 |
1702 | N1 N2 |
− ○※ |
○(1) |
ペア+幼鳥 |
1703 | N1 N2 |
○ − |
×(0) | 50〜60日齢死亡 ペア |
1704 | N1 (N2) |
− ○ |
×(0) |
ペア※巣材搬送 |
1705 | (N1) | − | ×(0) | 出現なし |
1706 | N1 (N2) |
− ○ |
×(0) |
ペア 抱卵 |
1708 | N1 | − | ×(0) | 成鳥1 |
1709 | N1 | − | ×(0) | |
1710 | (N1) | ? | ? | 成鳥1 |
1721 | ? | ? | ? | ペア |
?: | 不明及び未観察 | −: | 未使用 | ○: | 使用または成功 | ×: | 失敗 | ○※: | 確認されている巣以外の巣を使用した可能性あり | ペア: | 成鳥の♂♀を確認 | ペア※: | 成鳥の♂と亜成鳥の♀を確認 | (巣番): | 後に存在が確認されたが,()の年には未発見であった巣 |
福井県における1991〜1994年の4年間の繁殖成功率は,26.1%(6ケ所/23ケ所)であった.イヌワシの全国の繁殖成功率は,1986〜1990年の5年間で40.7%である(日本イヌワシ研究会1992).また,個体群維持に必要な繁殖成功率は,67%であると推定される(日本イヌワシ研究会1992).よって,今後何らかの保護策をとらない限り,福井県のみならず国内のイヌワシの絶滅は免れないと推定される.
調査中にイヌワシが出現した回数は674回,総観察時間数は8,240分で,出現頻度(総観察時間数/延べ調査時間数)は,0.040であった.仮に今1日7時間の調査を実施した場合の出現時間は,その出現頻度から算出すると16.8分となり,イヌワシの調査が成果を得にくい大きな原因と考えられる.
各テリトリーコードごとの出現頗度は・中心部,周辺部,全域に分けて算出した(表5).
テリトリーコード | 調査開始後の初認日 | 延べ調査時間(分) | 総観察時間(分) | 出現頼度 | 出現回数(件) |
---|---|---|---|---|---|
1701(中心部) | 1990.11.28 | 17,313 | 1,703.5 | 0.098 | 175 |
1701(周辺部) | 1992.6.3 | 10,080 | 24.0 | 0.002 | 10 |
1991.1.19(情報) | 9 | ||||
1701(全域) | 1990.11.28 | 27,393 | 1,727.5 | 0.063 | 185 |
1702(中心部) | 1991.2.27 | 23,067 | 1,935.5 | 0.084 | 163 |
1702(周辺部) | 1990.11.18 | 18,290 | 454.5 | 0.024 | 42 |
1702(全域) | 1990.11.18 | 41,357 | 2,390.0 | 0.058 | 205 |
1703(中心部) | 1990.11.18 | 20,846 | 1,708.0 | 0.082 | 84 |
1703(周辺部) | 1991.12.22 | 23,520 | 58.0 | 0.003 | 13 |
1703(全域) | 1990.11.18 | 44,366 | 1,766.0 | 0.040 | 97 |
1704(中心部) | 1991.11.22 | 4,990 | 504.5 | 0.101 | 51 |
1705(中心部) | 1991.4.12 | 20,320 | 1,053.0 | 0.052 | 80 |
1705(周辺部) | 1991.8.16 | 15,560 | 12.0 | 0.0008 | 8 |
1705(全域) | 1991.4.12 | 35,880 | 1,065.0 | 0.030 | 88 |
1706(中心部) | 1991.10.29 | 9,469 | 481.0 | 0.051 | 11 |
1706(周辺部) | 1994.8.21 | 6,048 | 0.5 | 0.00008 | 1 |
1706(全域) | 1991.10.29 | 15,517 | 481.5 | 0.031 | 12 |
1707(中心部) | 出現なし | 3,489 | 0 | 0 | 0 |
1707(情報) | 1994.4.17 | 1 | |||
1708(全域) | 1993.5.29 | 18,305 | 7.0 | 0.0004 | 4 |
1709(全域) | 1992.6.3 | 13,736 | 25.0 | 0.002 | 11 |
1709(情報) | 1991.1.19 | 9 | |||
1710(全域) | 1990.11.18 | 23,616 | 526.5 | 0.022 | 64 |
1721(全域) | 1992.12.19 | 13,147 | 38.5 | 0.003 | 16 |
1721(情報) | 1992.9.23 | 1 | |||
1722(中心部) | 1992.9.26 | 3,024 | 219.0 | 0.072 | 8 |
1723(中心部) | 1994.3.27 | 12,665 | 27.0 | 0.002 | 4 |
イヌワシのテリトリーの地形的構成要素は,「大きな谷」である(日本イヌワシ研究会1987).よって,中心部は,営巣地の存在する「大きな谷」やこれまでいわれてきた行動圏の面積の60.8km2に,各テリトリーごとの地形や飛翔コースを加えて予想した.また,周辺部は,中心部の周辺においてこれまでイヌワシが観察された範囲に,イヌワシが消失した方向,同時観察や個体識別による記録を加えて予想した.
1704を除くA・Bランクの出現頻度は,中心部(平均値0.0734±標準偏差0.0209)が周辺部(0.0060±0.0101)に比べ有意に高かった(t=6.484,df=8,P=0.0002).よって,繁殖成功の有無にかかわらず,イヌワシにとって生息の核となる中心部の存在は重要であると考えられる.
繁殖成功または繁殖後期まで至っていた1701・1702・1703と,繁殖初期で失敗した1705・1706の平均出現頻度を比べると,全域では有意差はなかったが(0.0537±0.0121vs.0.0305±0.0007;t=2.567,df=3,P=0.0827),中心部に限ると前者の出現頻度が有意に高かった(0.0880±0.0087vs.0.0515±0.0007;t=5.608,df=3,P=0.0112).すなわち,行動圏の全域では蹄著ではなかったが,営巣地域などの中心部に限ると,繁殖状況がどのような段階まで達しているかは,出現頻度の高さに反映していた.
一方,繁殖が初期の段階で失敗したにもかかわらず,1704の出現頻度が最も高かったのは,1定点からの観察範囲がイヌワシの主な飛翔コースや生息に重要な地域を最もよくカバーしているからと考えられる.1704については,他のA・Bランクの生息地と異なり,主に中心地においてのみでしか調査を実施しておらず,今後周辺部の調査を実施することによって,他のA・Bランクの出現頻度と比較する必要があろう.
生息ランクの高い1701・1702・1703・1705・1706の全域の平均出現頻度(0.0444±0.0153)は,生息ランクの低い1708・1709・1710・1721の全域の平均出現頻度(0.0069±0.0102)に比べ有意に高く(t=4.194 df=7,P=0.0041),生息状況の違いが出現頻度の違いに反映していた.
1721は16件の出現があったが,その内の14件は幼鳥が確認された年の記録であった.それ以外の記録は,今回調査をあまり実施しなかった隣県の記録であった.よって,今回主に調査した福井県内の範囲は,テリトリーの周辺部であろうと推察される.このことが,1721の出現頻度が低かった主な理由と考えちれる.
イヌワシのテリトリーは,生息に重要な部分と生息に重要でない部分によって成り立っている(重田1974,日本イヌワシ研究会・日本自然保護協会1994).出現頻度の差は,生息に重要な部分,つまり営巣地周辺や主要な捕食地などがどれだけテリトリー内に存在し,そこが観察できる地域に観察定点を設定したかどうかに影響を受ける.よって,出現頻度の低下は,テリトリー内に生息に重要な地域が少なくなっていることを示す一つの要因と考えられる.
特に,1707・1708・1709・1723の出現頻度が低かった理由には,ペアの生息の有無がはっきりと確認できなかったこと,繁植行動がほとんど観察されなかったことが挙げられる.この原因は,まず第一に,この巣を使用していたペアのテリトリーが生息に不適となったために,ペアが消失したことが挙げられる.第二に,イヌワシは複数の営巣地を持っことが挙げられる(重田1974).つまり,餌量の減少や営巣地周辺の環境悪化などの要因によって,テリトリー内の利用形態が大きく変化し,他の営巣地の利用にのみ限られるようになった可能性である.しかし,過去の詳細な記録がない現在では,この原因を正確に把握することは困難である.よって.4年間の調査で利用が確認されなかったといって,営巣環境が失われたなどと判断し,周辺を開発することは避けなければならないし,また今後良い年月をかけて調査を枢続し原因を究明することが必要であろう.
生息状況が明らかなA・Bランクの記録と思われるメッシュ数から算出したテリトリーの面積は,2kmメッシュで472km2,4kmメッシュで784km2であった.これをA・Bランクの6ペアで割ると,その面積は2kmメッシュで
78.7km2,4kmメッシュで130.7km2となった(図2).
隣接した3ペアの1701,1702,1703の各テリトリーごとの2kmメッシュの数は,1701が23メッシュ,1702が39メッシュ,1703が17メッシュ,平均が26.3メッシュであった.この内の3メッシュは1702と1703の両方のペアが利用していた.また,面積は,1701が92km21702が156km2,1703が68km2,平均が105.3km2であった(図3).
1701・1702・1703のテリトリーの面積は,これまでの全国平均の60.8km2より広い(日本イヌワシ研究会1987).しかし,今回の調査結果から算出された各テリトリーの面積は,テリトリーの広さ,同時に動員できる調査員の人数,観察時の追跡状況を考慮すると,決して正確とはいえない.現在 日本国内で最大のテリトリーの面積(23km2)を持つ秋田県田沢湖のイヌワシでは,たった1ペアのイヌワシの調査のために,3年間で,延ベ104日,調査員数1,131人の調査員を動員した(日本イヌワシ研究会・日本自然保護協会1994).これらのことから,福井県のイヌワシのテリトリーの面積は,調査精度を上げれば,従来の全国平均の2〜3倍程度に達すると推定される.イヌワシの保護・管理を進めるには,正確なテリトリーの把握とその利用形態の把握が重要であり,今後新たな調査方法の検討が必要である.
今回,周辺にテリトリーを有している1702と1703の個体が,1710の営巣地の周辺まで侵入していたことが確認された.このことが,営巣地の利用が確認されていないにもかかわらず,1710の出現頻度が比較的高かった理由と考えられる(表4,表5).よって,1710の生息状況は,1702・1703・1710の3テリトリーの行動を同時に追跡した調査を実施しない限り把握することは困難である・いずれにせよ,1710のテリトリー内に1702と1703が侵入したことは,その生息状況に変化があったことが確かである.その理由は,営巣地が確認されながら,繁殖行動がほとんど確認されなかった1708と1709と同様の可能性が示唆される.
今回の調査において,福井県におけるイヌワシの繁植成功率は極めて低く,テリトリーもたいへん広いことが明らかになった・このことは,今,福井県内のイヌワシがおかれている状況が,ペアまたは個体の維持するのに必要な餌量を確保するのが限界で,繁殖する余裕のないテリトリーが多いことを意味していると推定される.さらに,テリトリーによっては,隣接するテリトリーからのペアの侵入により,生息が不可能になったテリトリーも存在している可能性も否定できない状況である.
ワシタカ類の繁植を左右する要因は,営巣環境と食物量である(Newton1979).よって,イヌワシの安定した繁殖個体群を維持させるためには,まず第一に営巣地周辺の環境を維持することが必要であろう・第二に,テリトリー内の捕食地を特定し,イヌワシの捕食方法にあった環境を維持するか,また新たな捕食環境を造成することも有効である.第三にイヌワシの主な餌はノウサギ Lepus brachyurus,ヤマドリ Phasianus soemmerringii,へビ類などである(日本イヌワシ研究会1984).よって,これらの動物を保護・増殖することも必要であろう.
確認記録は42件で,主に非繁殖期の記録であった.しかし,1991年4月7日,福井県大野郡和泉村九頭竜ダムにおいて,県内で初めて本種の営巣地を発見した.6月17日には巣内で雛は確認されず,巣立ったと考えられた.巣はクリーミズナラ群落内の樹高約10m,胸高直径48.4cmのミズナラQuercus crispulaの地上4.6mの高さに造られていた(写真6).巣の外径は93×63cm,高さは30cmで,産座は下部にスギCryptomeria japonica,上部にミズナラ,ウリハダカエデAcer rufinerve ,イタヤカエデAcer mono ,クマシデ Carpinus japonicaが使われていた.福井県内のノスリButeo buteoの繁殖時期の観察記録は多くなく,営巣地の特定も今回の1例のみである.よって,その生息地の保護・管理が必要である(松村ほか1992).
確認記録は93件199羽で,渡り以外の記録と確認できたのは1件1羽だけであった.主な渡りの記録は,以下の通りであった.
最初に渡りが観察されたのは,1991年9月22日〜23日に福井県大野郡和泉村の九頭竜ダム南側の流域一帯で,2日間に合わせて99羽のハチクマ Pernis
apivorus の波りが観察された.その他渡りの有無は正確には把握できなかったが,ミサゴ Pandion haliaetus,オオタカ Accipiter gentilis,ツミ A.gularis,ハイタカ A.nisus,ノスリ,クマタカ Spizaetus nipalensis なども観察された.岐阜県境の油坂峠付近より始まる福井県奥越地域におけるハチクマの波りの経路は,大きく分けて(a)平家岳と滝波山間を越えて岐阜県板取村へ至る経路,(b)左門岳と屏風山の間を越えて岐阜県根尾村へ至る経路,(c)伊勢峠を越えて大野市笹生川上流へ至る経路の3つが推察された(池田はか1992)
2回目の渡りの観察は,1994年5月21日に奥越地方の石川県境から岐阜県境にかけての広い範囲で,40羽の渡りが観察された.主な移動方向は南西方向から出現し,北東方向に消失するものであった.
3回目の渡りの観察は,1994年10日2日に敦賀市と今庄町の境界においてで,10羽の渡りが観察された.主な移動方向は,北東方向から出現し,南西方向に消失するものであった.
4回目の渡りの観察は,1994年10月16日に三方町から滋賀県今津町にかけての範囲で,16羽の渡りが観察された.主な移動方向は,西から南にかけての範囲に消失するものであった.
クマタカは今回の調査地域のほぼ全域で確認され,出現回数は493件,総観察時間数は3,927.5分,その出現頻度は0.019であった.
主な確認記録は,ペアと営巣地が確認され,繁殖も成功したテリトリーが1ケ所,ペアの生息が確認され,営巣地もかなり絞りこんだテリトリーが1ケ所であった.それ以外に,幼鳥が確認された地点が延ベ8ケ所,ペアの生息が確認された地点が延ベ47ケ所であった.
今回確認した営巣地は,福井県嶺北地方における初記録であった.およその位置は,1989年5月30日に餌を運び込んでいる行動から確認されていた.巣の発見は1992年9月1日で,この巣から巣立ったと思われる幼鳥が,1992年9月1日と9月26日に観察された.営巣木は,1,200m前後の主稜線から延びた尾根上から南東方向に約30m降りた標高約710mの斜面上にあった.営巣木はブナ Fagus crenataで,樹高25m,胸高直径68.8cmで,巣は高さ20mの幹の中心より山側に出た枝に架けられていた(写真7).営巣木の周辺は.数本のミズナラを含む樹高20〜25mのブナ林で,亜高木層は15m程度のブナがわずかにあるだけであった.低木層には,ブナとミズナラ以外に,リョウブ Clethra
barbinervis, ハウチワカエデAcer japonicum,マルバマンサク Hamamelisjaponica コシアブラ Acanthopanax sciadophylloides,オオバクロモジ Lindera umbellataがあった.杯冠は,谷方向の左右が開けており,大型のクマタカが巣に出入りするのに都合よいと思われた.
クマタカは,今回調査したほば全域において生息が確認されたことから,県内の山地帯のはぼ全域に生息していると予想される.しかし,個体数の把握は,今回の調査規模では概数の推定でさえ困難であった.クマタカは,県内ではイヌワシに次ぐ大型猛禽類であり,種の保存法の国内希少野生動植物種に指定されていることから,今後の保護・管理が必要である.
確認された希少猛禽類は,ミサゴ(4件),オオタカ(64件),オジロワシ Haliaeetus albicilla(7件),ハイタカ及びツミ(118件),ハヤプサ Falco peregrinus(13件)であった.
ミサゴは,1991年9月23日に和泉村伊勢,1994年9月10日に三方町南前川と小浜市上根来,1994年10月2日に今庄町広野で観察された.福井県内ではこれまで平野部の周辺の河川,湖沼,海岸で記録されていたが,岐阜県境付近の山地帯の飛翔記録は,今回が最初であり貴重である.福井 県内の繁殖記録は存在するが,いずれも現在は消失していることから,繁殖個体群の衰退の可能性が大きく,今後生息実態を把握し,保護対策を講ずるべき種である.
オジロワシは,1991年11月24日に和泉村小谷堂,1992年12月19日に丸岡町上竹田1994年3月 27日に三方町倉見で観察された.福井県内では北潟湖と三方五湖に毎年冬鳥として飛来することが確認されていたが,県内の山地帯の飛翔記録は,過去の例数も少なく貴重である.
確認された猛禽類は,チゴハヤブサ F.subbuteo(2件),チョウゲンボウ F.tinnunculus(1件),サシバ Butastur indicus(57件)であった.
チゴハヤブサは1994年10月16日に三方町上野周辺で,チョウゲンボウは1992年12月19日に丸岡町上竹田で観察された. サシバは,4件15羽の渡りが観察された.渡りが観察されたのは,1994年10月3日,丸岡町の中心部から南東の丘陵地帯で,2件10羽が北から北北東方向に出現し,南西から南南西に消失した. また,1994年10月15日,三方町と美浜町の境界付近において,北東方向から出現し,南西方向に 消失する2件5羽が観察された.
1994年4月21日〜5月25日にかけての19日間に,1703の巣(N1)において,巣内雛の行動と親鳥の給餌行動を観察するため,夜明けから日没までの終日観察を含む集中調査を実施した(表6). 親鳥が巣内に餌を持ち込んだのは4回で,餌の持ち込みを雌堆別に分けると,雌は3回,雄は1回で,雄の餌の持ち込みが少なかった.さらに,雄は,巣内に餌を持ち込むどころか餌を持ち出したり,雌の持ち込んだ餌を摂食するなどの行動も観察された.親鳥の餌の持ち込み状況と,巣内雛が親鳥に対して餌乞い鳴きと思われる鳴き声を頻繁に発したことから推定すると,巣内雛は 餌不足に陥っていたと考えられる.
さらに,5月17日には,雄の巣への出入り時に,興奮したと思われる巣内雛が巣から約10m下に落下した.この直後,雌が巣内に餌を持ち込んだが,巣内に雛がいなかったために,雌が採食した.雛はこの間盛んに鳴き,ようやくこの声に気づいた雌は,落下している雛を発見したが,給餌せずにブナの枝を1本だけ雛の所に運び,飛び去った.落下した地点は,雨を避けられる状 況でなく,給餌もなされなかったことから,このままでは雛が死亡することが予想されたため,翌18日にこの雛を緊急に保護し,巣内に戻した.雛は戻した直後から,巣内に残された餌を自分で摂食した(写真8,写真9).
しかし,これ以後,雛は全体的に動さが鈍くなり,特に右翼の動きが見られなくなるなどの行 動の変化が観察された.さらに,親による餌の持ち込みも少なかった.そして,雛は5月25日午後,推定50〜60日齢での死亡が確認されたため,翌26日に死体を採集した.この時,巣の中か ら完全なイヌワシの未孵化卵が1卵,カモシカ Capricornis crispusの幼獣の脚,ノウサギの脚,ヤマドリの羽根,イヌワシの羽根,イヌワシのペリットなどが採集された.
調査日 | 観察時間 | 日齢 | 雛の主な行動 | 成鳥の巣への出入と主な行動 | 餌 |
---|---|---|---|---|---|
1994年 | 4月21日 | 10:25〜11:45 | 20〜25 | 脱糞,羽づくろい | 出入なし |
29日 | 7:55〜18:20 | 摂食 | ♀3回(餌持込,給餌,巣補修) ♂1回(餌持出) | ノウサギ | |
30日 | 9:25〜18:00 | 摂食,骨かじり,はばたさ,脱糞(9回) | ♀2回(給餌,抱雛,青葉搬入) ♂1回(摂食) | 不明 ノウサギ |
|
5月4日 | 16:10〜18:55 | 35〜40 | 脱糞,鳴き声.羽づくろい | ♀3回(抱雛,摂食) ♂1回 | ノウサギ 不明 |
9日 | 5:32〜19:00 | 摂食,ペリット,脱糞(6回),鳴き声 | ♀1回(持込(10cm角のもの)) ?1回 ※持込み後,摂食汲び給餌がなく餌かどうか不明 | ||
10日 | 5:05〜19:00 | 餌探し,骨かじり,脱糞(2回),伸び | 出入なし | ||
11日 | 5:40〜10:15 | 餌探し,摂食、鳴き声(断続的に1時間) | 出入なし | ||
12日 | 5:40〜19:00 | 餌探し,骨かじり,鳴き声,はばたき | ♀2回(青葉搬入) | ||
13日 | 5:25〜9:00 | 朝寝,羽づくろい | 出入なし | ||
14日 | 13:00〜18:10 | 鳴き声,身震い,羽づくろい | 出入なし | ||
15日 | 14:42〜18:50 | 45〜50 | 羽づくろい ※そ嚢が少し膨らんでいた. | 出入なし | |
17日 | 5:07〜19:00 ※一時中断あり | 巣より落下(♂出入時),鳴き声 | ♀2回(餌持込,摂食) (青葉搬入(巣1回,落下雛1回)) ♂1回 | ノウサギ | |
18日 | 4:48〜19:10 | 保護の後に巣へ返還,返還後に摂食,鳴き声 ※巣内には,ノウサギの両脚と腹部の一部,ヤマドリの 上半身と片脚あり | ♀出入なし(カモシカ運搬飛翔) ♂1回(餌持込,摂食) | ヤマドリ |
|
19日 | 4:32〜19:00 | 摂食,脱糞(5回),鳴き声,羽づくろい | ♀2回(給餌,摂食) | 不明 | |
21日 | 10:05〜18:45 | 摂食,羽づくろい | ♀1回 | 不明 | |
22日 | 9:19〜17:13 | 摂食(骨),脱糞(10回,,左はばたき,鳴き声 ※糞が固くて飛ばない. | 出入なし | ||
23日 | 9:03〜19:00 | 餌探し,摂食.脱糞(0回),鳴き声 ※1日に12回も鳴いた.大さな動き少ない. | ♀1回 | ||
24日 | 4:29〜19:00 | ついばみ,脱糞(3回),嶋さ声 ※目覚めが遅く,動きが鈍い. | 出入なし | ||
25日 | 10:04〜17:00 | 50〜60 | 死亡確認 | ♀1回(餌持込) | ノウサギ |
26日 | 8:30〜14:00 | 死体採集 ※巣内には,未孵化卵,カモシカ(幼獣)の脚,ノウサギの脚などが 残されていた |
採集した雛と未孵化卵は,自然保養センターに運搬し,計測した後,死体は冷凍保存,未孵化卵は冷蔵保存した(写真10,写真11).雛の計測結果は,表7の通りであった.未孵化卵は長径73.9mm,短径57.1mm,重量108.7gであった.
採集した雛は,1994年11月18日,日本獣医畜産大学野生動物学教室にて病理解剖を実施した.その結果,右橈骨遠位部の1ケ所が完全に骨折していたことと,死因は採餌不良に起因する栄養欠乏症(餓死)であったことなどが特定された.このことは,落下後右翼の羽ばたきが見られなくなったことや,餌不足と推定された今回の観察結果と一致した.
測定年月日 | 1994年5月26日 | 測定場所 | 福井県自然保護センター | |||
種名 | イヌワシ | 測定者 | 松村俊幸 | |||
測定項目 | 体重 | 1,289 g | ||||
全長 | 52.1cm | |||||
翼長 | 30.5cm | |||||
翼開長 | 107.5cm | |||||
尾長 | 13.5cm | |||||
ふ蹠長 | 99.8mm | |||||
趾爪 | 1 | 36.0mm | ||||
2 | 27.8mm | |||||
3 | 23.0mm | |||||
4 | 39.4mm | |||||
嘴峰 | ろう膜除 | 31.8m | ||||
ろう膜含 | 41.8mm | |||||
嘴高 | 23.6mm | 性別: ♂ |
検査は,愛媛大学農学部環境料学研究室にて実施した.その概要は,以下の通りであった.
今回の希少猛禽類の保護管理に関する調査事業は,5年間に延ベ797人もの調査員を投入したが,わずかに福井県におけるイヌワシの生息概要が明らかにできたにすぎない.
一方,希少野生動物の保護は長年叫ばれてきたにもかかわらず,有効な保護手段が採られなかったために,コウノトリやトキの野生個体群の絶滅を招き,今まさに,ニホンカワウソがその後を追おうとしている.
その原因の一つは・絶滅に瀕している野生動物は観察するだけでも困難で,調査には多くの時間と労力を必要とするために,今までの調査の多くが生息概要の把握だけで終了し,保護管理策を講じることができるだけの調査の実施と,それを基礎とした保護管理策が施されなかったからである.
今回の調査におけるイヌワシの出現時間は,1日7時間の調査に換算すると,わずか16.8分であった.これは,地域ごとの生息実態に合わせた保護管理策を講じるにはあまりにも少なすぎる観察時間である.しかも,イヌワシ以外の希少猛禽類の生息実態は,県内の一部を調査しただけであり,生息概要すらわからない.
ところが,希少生物を中心とした自然保護の要求は,以前にも増して強くなってきており,自然保護行政の積極的な取り組みが全国各地で問われている.よって,イヌワシを中心とした希少猛禽類の保護管理に関する調査事業は,今回で終了したのではなく,今ようやくスタート台に立ったと認識するべさである.
また,自然は常に変化し,人間が野生動物の生活域を利用して生活していく以上,その変化の状況に合わせた保護管理策を講じるために,希少猛禽類の調査を継続実施しなければ,これらの動物との共存は不可能であるという認識を持っべきである.
今回の報告書をまとめるにあたり,巣内雛の病理解剖は日本獣医畜産大学野生動物学教室の羽山伸一博士,未孵化卵の有機塩素化合物検査は愛媛大学農学部環境科学研究室の立川涼教授が実施してくださった.なお,これらの検査は,日本イヌワシ研究会の事業により実施した.
また,我々が福井県においてイヌワシの調査を開始する前からイヌワシを見守り,今回その貴重な情報を提供してくださった久保藤士継氏と山田律雄氏をはじめ,貴重な飛翔情報を提供してくださった方々,並びにアンケート調査にご協力して下さった方々にこの場を借りてお礼を申し上げる.
調査は福井県希少猛禽類調査委員会が実施し,その構成は以下の通りである.
池田善英*,久保上宗次郎*,須藤一成*,門前孝也 井上陽一,真崎健,横山大八,夜久保徳,榎本二郎,堀尾岳行,松村俊幸*,大迫義人,林哲
池田真弓,平城幸子,小嶋明男,小川悟,遠間康裕,谷口明里,柳町邦光,篠田耕児,須藤明子,永村春義,加藤晃樹,山本正恵,中村真一郎,堀本尚宏,野口幾代 中村俊二 福田佳弘,
※池田,久保上 須藤,松村の4名で常任委員会を構成し,調査の計画や実施などの実務を遂行した.また,報告書の作成は,池田,久保上,松村が行い,谷口が協力した.